行き渋り10年の娘

娘は保育園も幼稚園もそして、小学校も行き渋りだった。

行き渋りの子どもを持つ親はとても大変だ。

どうして保育園に素直に行くのだろう、幼稚園で友達ができるのだろう、小学校に楽しそうに通うのだろう、とついつい周囲と比較してしまう毎日だった。

そして、他のママたちは、口を揃えて、大丈夫よ。うちもそういう時あるよ、いつか行けるようになるわよ、と無責任なことを言う。

いや、無責任に感じだのは、私が育児ノイローゼ状態だったから、そう感じてしまったんだと思う。

とにかく相談すればするほど、孤独になったし、自分を責めた。

私の育て方がいけないのだろう、と。

夫さえも、理解してくれなかったし、私の育て方が悪いと言われた。

ろくに子育てもしてないくせに。理解しようともしてくれないのか、と腹が立った。そして、家庭の中でも、孤独になった。

自分の親も義理の親も、行き渋りの子をもつ大変さを理解してくれるわけなかった。そして、またしても、私がもっと早寝早起きさせれば、とか考え過ぎなのよ、とか絶望的な言葉をかけられた。

行き場を失った孤独な私は、娘に怒りと憤りをぶつけた。

どうして行ってくれないの、どうして困らせるの、みんなちゃんと行ってるでしょ、あなたは本当に疲れさせる子どもね、病気なんじゃない?妹はできてるのに、と。

娘はいくら母からの罵声を浴びても何も言わなかった。

娘は、どうしてそんなに私が怒ってるのか、怒られてる時も分からなかった。そして、また同じことの繰り返しが起こるのだった。それが、余計に私をイラつかせた。

ある時、娘の幼稚園で、私が娘のことでいつも泣いていると、違う学年のお母さんから、子育てで悩める母たちが集ってなんでも話せる場所を紹介された。

その場所に出会い、ペアレントトレーニングを受けたことで私は変わった。

娘を傷つける言動をしていた自分、娘を変えようとしていた自分を反省し、自分を変えるために勉強した。

ペアトレをもっと早く受けていたら、と思う。

子育てで悩みがある方は、ぜひペアトレを受けていただきたい。

子どもとの関係が取り返しがつかなくなる前に。

そして、私と娘との関係も徐々に変わっていった。

私に対して怯えていた娘の信頼関係を徐々に取り戻すことができた。

そして小学2年生の時の担任の先生から、行き渋りがあることで療育での検査を受けてみてはどうかと、提案を受けたので受けた。

結果は、自閉スペクトラムとADHDという判定だった。

たった3時間のテストを受けただけでの判定だったことには驚きはあったけれど、私も娘もその判定に嬉しくて泣いてしまった。

行き渋りの理由、保育園、幼稚園や小学校に行くと、とてつもなく疲れてしまう理由、空気を読むのが苦手な理由、こだわりが強い理由、暑いのが苦手な理由、眠りにつくことが苦手な理由

私と娘を苦しめていたさまざまなことに苦しまなくなっていった。

これもまた個性、そのままでいいんだと。

苦手なものに目を向けず、好きなことに目を向けて行こう、と。

私と娘は手を取り合って、前を向いて歩き出すことができた。

そして、10歳になろうという今、小学校に遅れずに毎日行くことができるようになった。自分の意思で。

私は娘を誇りに思う。

今までも、これからも、どんな時も愛している。

子どもたち、他の子と比べる必要はないんだよ。

自分のペースで自分の目標に向かって一歩一歩歩いて行けばいい。

ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン🖤

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